matchyのたんぶら

 スマートフォンが売れるのは、端末を安く売っているからだ。「らくらくフォン」よりもスマートフォンのほうが安いというのは、ぼくには理解できない。

 ネットワークのキャパシティが足りないのは計算の問題だ。それに対して、どのような対策を取るのかという点が携帯電話事業者にとっては大事だ。

 しかし、ここには定額制を廃止するという手段は選択肢に入り得ない。定額制を前提にスマートフォンを売ってきたからだ。それも端末単独で売っているわけではなく、ネットワークの能力とセットで売っている。その点でも責任は重い。

2011年10月03日 茅ケ崎の千ノ川でボラなど魚数千匹が大量死 2011年10月10日 大阪湾にクジラ出没 2011年11月15日 川にイルカが迷い込む ― 大分県大分市 2011年11月25日 青梅市で魚5000匹浮く 2011年12月09日 三崎港に迷いマグロ?、目撃相次ぐ 2011年12月15日 千葉県船橋漁港に「迷い」イルカ 2011年12月16日 播磨灘に、ありえない約20頭のイルカ 2011年12月21日 静岡にリュウグウノツカイが打ち上げられた 2011年12月24日 「スナメリ」伊勢の川に迷いこむ 2011年12月28日 長崎県対馬沖300頭ものイルカの大群 2012年12月31日 大量のニシンの死骸が漂着して海岸を埋め尽くす 2012年01月02日 神奈川県小田原市海岸クジラ1頭の死骸 2012年01月05日 新潟県長岡市寺拍海岸クジラ1頭の死骸 2012年01月10日 東京港内の海面にクジラの死骸 2012年01月14日 マッコウクジラの子ども、磯原海岸に漂着
(日本の座礁は、大地震かもしれないし経済混乱かもしれないから)

2011年10月03日 茅ケ崎の千ノ川でボラなど魚数千匹が大量死
2011年10月10日 大阪湾にクジラ出没
2011年11月15日 川にイルカが迷い込む ― 大分県大分市
2011年11月25日 青梅市で魚5000匹浮く
2011年12月09日 三崎港に迷いマグロ?、目撃相次ぐ
2011年12月15日 千葉県船橋漁港に「迷い」イルカ
2011年12月16日 播磨灘に、ありえない約20頭のイルカ
2011年12月21日 静岡にリュウグウノツカイが打ち上げられた
2011年12月24日 「スナメリ」伊勢の川に迷いこむ
2011年12月28日 長崎県対馬沖300頭ものイルカの大群
2012年12月31日 大量のニシンの死骸が漂着して海岸を埋め尽くす
2012年01月02日 神奈川県小田原市海岸クジラ1頭の死骸
2012年01月05日 新潟県長岡市寺拍海岸クジラ1頭の死骸
2012年01月10日 東京港内の海面にクジラの死骸
2012年01月14日 マッコウクジラの子ども、磯原海岸に漂着

(日本の座礁は、大地震かもしれないし経済混乱かもしれないから)

ロハスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の原発を止めねばならぬと決意した。ロハスには政治がわからぬ。ロハスは代官山の住人である。カフェに行き、パスタを食って暮して来た。けれども流行に対しては、人一倍に敏感であった。
Twitter / @dada (via ishib)

233 名前:彼氏いない歴774年[sage ] 投稿日:2012/01/13(金) 02:01:27.21 ID:SPH1MXZP

地元の居酒屋で

男ABC「かんぱーい!」

男A「旨そう!久々の馬刺しやわ」
男B「俺も!タテガミ旨そう!」
男C「ではではー!」

男A「いななきまーす!」
男BC「ヒヒィーン!」

目の前に居た同僚が酒を吹いた

みんなが憧れるクリエイティブな職業に就いたとしても、30歳くらいまではいいけれども、30、40代になるにつれて不遇と呼ばれる状況に落ちざるをえないということですよね。
創造性とは、ほとんど死に至る病というべき代物である。創造的でなおかつ同時に幸福であることは容易ではない。創造性には、途方もない不安、多大な努力、果てなき愛への渇望が付きものだから。また、創造的であるためには、旺盛な好奇心と寛大さ、そして理解しようとする意志が必要だ
poochin:

Twitter / @jacjac_jack: 「どうやればTwitterにいる名前も顔も知らないあ …

温泉街のジレンマ

都会の人は手付かずの自然を見て心と体の疲れを癒したいと考えて温泉地や保養地などを訪れる。例えばイタリアのトスカーナなどではこの欲求はどんぴしゃで満たされるのだが、日本の田舎を訪れると街道沿いを埋め尽くす温泉宿や牧場のうら寂れた看板にゲンナリさせられることになる。

なぜこういうことが起こってしかも是正されないのか?

ここには一種のナッシュ均衡が働いている。

街道沿いに何も無かった時代に初めて掲出された看板はそれなりに効果を発揮しただろう。そして他の旅館や牧場がそれを見て同じように看板を掲出しようと判断したのもごく合理的だ。そしてそれを繰り返すうちにだんだんと街道は看板で埋め尽くされるようになる。

看板の数が増えてくるとアテンションのシェアは減るため、目立つことを狙って表現はドギツく、文字は大きくなって全ての看板が似たような表現に収斂していく。看板の数を減らそうにも個々の温泉宿や牧場にとっては看板を自分だけ下ろすメリットは無いので結局看板の数は減らない。結果として風景そのものは破壊されてしまい、全体としての集客力は大きく毀損してむしろ看板を出す前より客足は落ちてしまう。

これが温泉街のジレンマだ。

このジレンマは広告およびその手法の持っている合理性が内在させている矛盾点をあらわにしている。日本の広告も、温泉街のジレンマと同じ状況に陥っている可能性があるのではないか。

Arts and Science: 温泉街のジレンマ (via yuco)
2009-02-06 (via gkojay) (via jinon) (via pipco) (via suzukichiyo) (via umamoon)

「看板の数が増えてくるとアテンションのシェアは減るため、目立つことを狙って表現はドギツく、文字は大きくなって全ての看板が似たような表現に収斂してい く」

Twitterを思い浮かべた。

(via nakano) (via nemoi) (via kml) (via appbank) (via yaruolikes) (via yaruo) (via takishin) (via shimanashi) (via usaginobike) (via kanpo0324) (via motomocomo)

(Remember The Milk - Temporarily Unavailableから)
 (Twitpic - Share photos and videos on Twitterから)